元日そうそう、義理実家でひともんちゃく!途中で帰ってき……
まさか私にこんなことが起こるなんて!!!
今年、元日そうそう、私が義理実家で切れました。
ちょうどいい機会なので、二度と義理実家にいかないことにしました!
ガタンと立って、プチ修羅場して、そのまま帰ってきたんです。
今日、自分の実家に行ってみて、まだうちのほうが「優しいじいちゃん・ばあちゃん」だなと思いました。(環境には恵まれなかったので、幸せではなかったですが。)
いけない、元日の話!!!実家を愚痴ろうとしてた🤣
あちら(義理父)は、息子の家族に不満をためていました。そこで元日そうそう、説教してきました。自分の思う通りに行動してほしいんだって。
その他、私(嫁ですね)は「年末からお正月までの行動をこうするべきなのに、してくれない」とまで言ってました。
その価値観、どうして押し付けるの?
ちょっと……無理でしょ。
やりたくないです。
これから先も、言われたから、やらなきゃならない関係なんて、苦痛です。
前後関係も書かないので、わからないと思いますが、この義理父、この先うちら家族に口出しし、介入しようとしている、これは先があやぶまれる……
ちなみに義理母と旦那は聞き流せるタイプです。そんなこと言ったってーと言って済ます人。
しかし今日の私は違った。
「もう我慢できない!」
と言って、立ち上がってしまいました。
「おっしゃってることは正論かもしれませんが、──省略します───────こうなっても当たり前なんじゃないですか?」
この他にもいろいろ言ってきていたので、もはや限界突破でした。
押し付けがましいったら、ありゃしない。そこまで指導しようとしていて、「自分は人を指導していない」だそうです。正しいことを伝えているだけだそうです。(そのくせ「これを実行すべきなのに、しないのはクドクドクド」
嫌味たっぷりなことを言っているのにも関わらず、「何が悪いのか分からない」。など。
この記事は読んでくれた人がいても、意味が通じないですが、わたし……
「これから先、ご機嫌うかがいするなんでしたくない!」
と思いました。
「もう帰ります!」と帰ってきました。
旦那は「座ってくれ〜」と情けない声を出していたけど、顔立てて残っても……最悪ですよね。ダラダラ義理父が説教して、旦那と黙って聞いてるなんてむりむりむりー
玄関ドアをたたきつけて出てきましたが、知らない地区なので。
「あっ ここどこだっけ……なんとかなるか、Hey Siri!」
玄関先に出て、せいせいしたわと思いつつ、Siriに道を聞いたら、駅までちょっとかかる。
経路……◯分。
なんで、寒空の中を、私が歩かなきゃならないんだ……?
そこで旦那に電話をし「今日は家まで送って帰って」と頼みました。(笑)
家って、私達の家ですよ。
というか、旦那、追いかけてこいよ……(この時点で、旦那に切れる人だっていると思う!)
そして私達は訪問して1時間もたたないうちに、帰りの車の中です。
私は最初に旦那に謝りました。「いいよ。」でした。よくわからないけど、私のことはいいらしい。
車の中で、旦那の兄弟の一人に電話をしました。
「被害を受けたので、もう二度とここには来ない」つもりだったから、さすが血縁の人には知らせておかないと。
すると、その家に来るように言われました……正月そうそう、問題を持ち込んだ私……
その義理の兄弟さんは、とっくの昔に義理実家と絶縁しています。
義理父の奇妙で横暴なところをよく知っています。義理母とは涙を流して、ほぼ永遠のお別れをしてます。もう親の死に目にしか会わないという関係です。
兄弟さんと私は、私たちにその調子で口出ししてきたら、将来的にこうなるな……と想像が一致しました。
兄弟さんはいいました。
「家族を守るために、義理実家とは関わらないようにしてほしい」
驚いたんですけど、、あちらもよっぽどのことがあるのです。
なのに、旦那はかなり楽観的です。なので「やばい親と縁を切ったほうがいいのかな……」とまでは思っていません。
いちおう、これで、最近(ずっとだけど)義理父が、私達に言い過ぎていて、私は超いやな思いをしていた」という事実は伝わりました。
感覚を共有し理解したとは言えません。感覚が違いすぎる。
ちょうどいい機会なので、二度と義理実家にいかないです!
さて、これからですが、別の兄弟さんのところへ行って、義理実家のことで頼りになるのが、うちの旦那だけになったことを言います。
旦那も義理父は放置する予定ということがわかりました。やっぱり義理父が求めていることは無理だという点で私と共通しています。
……ということで、元日のあの後からは、いい妻として頑張ってます。
おしまい。
足の速い子の親ですが、運動会で泣いたことあります。
Pジ熊さんの記事を読んで書きます。
(リンクを貼るとはてブのページに載ってしまうので、削除しました。)
この記事はPジ熊さんの記事とほぼ関係ありません。「運動の全くできない元子供が親になったときに、こうしてみたんだよ」という内容です。
さて、タイトルの通りです。私は運動会でぶっちぎって走る我が子を撮影しながら泣いたことがあります。
リレーのアンカーのうちの子が、1人追い抜いて1位に入る様子がみられるとは、人生何があるかわからないものです。「●ちゃんすごい〜」とママ友が振り返ったとき、私はジワ〜っと泣いていました。当時中学年です。
高学年の競技では、素晴らしい運動能力を発揮して同じグループの親御さんから感嘆の声が上がったものです。怪我の恐怖に怯えながら静かに喜びました。
その動画を何度も見返して涙ぐむ私は、超ド級に運動神経の良くない人間です。小さな頃から恥ずかしい、悔しい、嫌な思いをしてきました。
つまり体育は大嫌いな科目として学生時代を過ごしました。しかも運動オンチであると、スポーツを通じて男性と知り合うことができないのも無念な事実として降り掛かってきました。
無理矢理にスキーやスノーボードには行きましたよ。それでも、体力が圧倒的にないせいで疲れてしまって休んでばかり…全然楽しくなかったですね。
どうしてうちの小柄な子供が、私とは全然違うか?
単純に言えば遺伝しなかったと言うことでしょうか。
でも自分の悔しさを味わって欲しくなかった私の強い思い……があったんで、その記録?を誰か聞いて下さい。
(なおフルで拘束される仕事をしている人が多いはずですので、専業主婦だった私の事例は遠い世界のように感じるかも。でもよろしくお願いします!今は崖っぷちの個人事業主です。)
小さな頃は子供をよく散歩に連れ出しました。私自身は外に出るのは大嫌いでしたけど、無力な子供を引っ張る、最初のそして最低の努力だと思って、外出しました。
その後、なんとなく子供に習い事に気持ちを向けてもらいつつ、小1から運動系の習い事に行きだしました。
習い事と言うとまずは体験レッスンです。スムーズについて行けるよう、事前に基本的なことを教えました。
初めての子ができていれば、先生は褒めます。それは一種の成功体験になり、子供も習ってもいいかと言う気になるかなと思いまして。
週1から始めて多い時は週5で通うような習い事ですが、お陰で体力も度胸もついてます。かけっこでは速い子のグループで1、2位です。
最近の運動会ではダンスもありますよね。嬉しそうにダンスしているのを見ても私は涙ぐむんです。
振り付けの覚えがいいので、みんなの見本になったこともあるそうです。
自分が覚えられなくて楽しくないことを、子供が楽しんでいるんですよ。泣けます。
私の代わりに生きてもらっているような気すらするんです。(ここ、すごく感傷的な気分になっている部分です。)
私は筋力もなく、方向感覚がなく、自分の体がどう動いているかまったくわからない子でした。
中学になってからはラジオ体操も第2を覚えるのが大変でした。学級代表をやっていたので運動会の準備運動では一番前でした。頭が真っ白で思い出せません。どれほど恥ずかしかったか。
どこに戻るかも一瞬分からなかったんですよ。自分はおかしいと思ったものです。必死にトラックの形と校舎の位置、クラスの位置関係を頭に刻み込んで覚えたような記憶です。(つまるところ発達障害のケがあるわけです。)
このようによっぽど運動がダメな人の場合、体ができてしまってからでは遅いです。マジで小学生以前から配慮してあげて欲しいです。
例えばスイミングくらいは習ってみてはと思います。(スイミングはポピュラーな習い事かと思って、例に挙げさせてもらってます。(もしあれば体操やダンス、何らかのスポーツ、武道関係がいいと思います。)
スイミングの何級かまで頑張れば「走るのは遅いけれど、25m泳ぎ切れる」といった自信が持てるようになります。普段運動面で鈍い子供にとって、大きな救いです。
週1+長期休暇での特訓ぐらいで済みそうな習い事の例を挙げたのは、ヘビーな習い事をさせるのは大変だからです。送り迎えや金銭的な負担があります。運営関係の親の負担もあるかもしれません。
※スイミングも大会を視野に入れるレベルなら、週1では済まないことは存じてます。
付き添いが必要なケースもあります。
私の場合は習い事の間の数時間を待つはめになりました。当時は携帯出来るパソコンがなかったのでタブレットで作業をしていました。マックで。
親が上手いこと乗せてやってなんとかして、プロに任せる。あとは親は支える。
このようなことを成り行きでやった結果、運動ができなかった元子供は運動会で泣いたのです。運動会はよくもわるくも人生に影響しますね。
蛇足ながら、実は運動会で妙な動きをしている子に気がつきやすいです。そう言う子を早いうちに見つけ出して、サポートする体制があればと思っています。
参考までに旦那の運動神経は、可もなく不可もなくだそうです。
※その後、中学生になりました。走りのトップ……ではなくて「中の上」くらいです。不利な状況で3位なので、わたしとしてはすごいすごいと褒めています(笑)